物心がついたときにはここで遊んでいた。
小さい頃に通っていた幼稚園のあった場所、に、偶然通りかかった。
幼稚園は閉園して、今は市の福祉施設になっている。
同級生の中でも「自分の通っていた幼稚園が閉園した」という話を結構聞く。
少子化だったり、経営の難しさもあってのことだろうか。
幼稚園児の頃の記憶は、
幼稚園バスの待ち合わせ時間に遅れて、後から父に送ってもらって、父と別れた余韻で寂しくてロッカーに幼稚園カバンを閉まってるときにこみあげて泣いたり。
バスを待っている間に、集合場所で父から「狼の鳴き声」を何度も伝授させられたり、意外と父との思い出がある。
園の中での思い出は、
園庭中央にある象さんのすべり台
落ち葉がジュータンのように広がる園内林
林の中にあるポスト
ちなみに、
そのポストには年長園児が面白がって入れたであろう大量の落ち葉がポストの投函口まで詰まっていて、
とても手紙が届きそうな様子はない。
沢山の落ち葉を食べさせられてさぞかしポストも苦しかっただろうw
タイトルのモンテッソーリ教育。
立川市のふじようちえんで取り入れている教育法。
しょっちゅう名前が出てきますがクリエイティブディレクターの佐藤可士和さんがデザインコンセプトに関わったことでふじようちえんを知りまして、
この7月に、その園長先生の著書が発刊されて、それでモンテッソーリ教育というものを知りました。
モンテッソーリ教育の基本概念について
「子どもは、自らを成長・発達させる力をもって生まれてくる。 大人(親や教師)は、その要求を汲み取り、自由を保障し、子どもたちの自発的な活動を援助する存在に徹しなければならない」と、あります。
我が家でも私が1歳の子どもを子守をするときは、
ベビーサークルを外して、自由を保障しますw
普段は取り上げられちゃうテレビやエアコンのリモコンも自由に触らせてあげる。
見ていたチャンネルは変えられちゃうし、音声はミュートにされちゃう。
テレビに刺さってるアンテナカードも抜いちゃう。
もうやりたい放題。
でも、何で遊べと言わなくても自分で興味の赴くままに好きなものを触って試して、飽きたら次の興味に向かってあれやこれや試してって、チャレンジ精神の塊ですよね。
与えられたり、許可されないと何も新しいことを試そうとしない癖がつくと、大人になってから大変。
学びの微差は「やったことがあるか、ないか」
チャレンジできるときに「経験」しておいたことが、いざというときに「判断」するための想像力を育てるんだと思う。
営業 / 佐藤