”太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)3月10日未明、
約300機のB29による下町地区を中心とする無差別爆撃は、
人口過密地帯を火災地獄にしました。
罹災者は100万人をこえ、推定10万人もの貴い命が失われました。
3月10日を含め、東京は100回以上もの火の雨にさらされ、市街地の6割を焼失したのです。”
先日、東京都江東区にある「東京大空襲・戦災資料センター」に行ってきました。
民間の「東京空襲を記録する会」が募金を呼び掛けて完成させた貴重な資料館。
戦闘機から投下された焼夷弾や防空カブトの実物、
子供が使用していた防災頭巾などが展示されています。
(投下された爆撃をかすめて、まだ音のなるピアノ)
最近読んだ乃南アサさんの小説”水曜日の凱歌”の舞台が東京大空襲でした。
国が作ったRAA(特殊慰安施設協会)。
進駐軍兵士からの性の防波堤として女性を差し出すという選択をした国家。
戦争は終わったはずなのに、女性達の戦いは終わっていなかった。
はずかしながら、私は東京大空襲のことを何も知りませんでした。
何かを通して受け継がれていく情報というのは非常に重要だなと感じました。
営業/刈間