遠い記憶。
4つ年下の弟がベビーベッドから立った時。
急につかまり立ちした赤ちゃんを見て、
母がビックリして「えっ?うそっ?」と大きな声をあげたのだ。
母が驚いてるその様子を見て、当時4歳半ぐらいだったであろう私は
「立つって、、、驚くことなんだ??」と幼ながらに衝撃を受けた記憶がある。
私は人が驚いてるのを見て初めて「驚く」とは何かを認識したんだと思う。
おそらく、母が驚かなかったら、
「赤ちゃんが立つ=驚くべきこと」とは認識していないだろう。
つまり、私は人が驚いてるのを見て
「あぁ、こういうことが驚くべきことなんだ」と相対的に認識したんだろう。
最初っから自分の感情で驚くんじゃない、人が驚いたのを見てマネして驚くようになるんだ。
社会人になってから、
実はこのようなことは大人であっても同じなんじゃないかと思うことがよくある。
自分にとって影響力がある人、尊敬する人が驚いたのを見て、「それはすごいことなんだ?」と自覚するようになる。
今は母が何かに驚いたとしても、
私が同じように驚くことはない。
それは幼い頃に比べて、親の影響力が弱まったからだろう。
ある時は兄の影響でギター、
ある時は(スクエアラインで同僚の営業)刈間さんが20歳頃に渡豪したことの影響で私もオーストラリアワーホリへ。
26歳での初海外がいきなり1年の長期生活だった。
身近な人がシドニーでした衝撃の体験記を聞いて憧れて、自分も感じてみたかった。
驚きを与えてくれる人、
影響を与えてくれる人は自然と周りにいた。
親から家族、友人、
家庭から学校、社会に場所を移して。
けれど、
霧が晴れて視界がパーッと開けたような大発見も
自分で十分に味わったあと
だんだんその衝動がやせ細っていく。
「確かにあの時、心を揺るがすような衝動に出会えたのに、、、なぜ??」
ドトールでバイトしてるときに初めてこの感覚を自覚した。
8年間、ほぼ毎日シフトに入って、業務を卒なくこなすだけで、新しい刺激を感じられず。
新しく入ってくる新人の方が仕事が出来ないのに楽しそうだし、人生充実してるように見えた。
感受性が枯れてるのを自覚する中、やっと衝動に出会えてもたった2週間で冷めていく感覚。
この冷めていく感情の答え、
「そもそも人は飽きやすい」ということ。
小さい頃のように好きなアニメの映像を何度見ても飽きずに、全てのセリフを覚えるほど見続けるような夢中さがあったらどれだけ最高だろう?
目指すべきはあの頃のような感覚なんじゃないか?
大人になると経験則が邪魔をして慣れが生じてしまう!?
「常に自分とって新しい挑戦をしてくことでしか夢中になれる衝動はキープできない」
自然と人と出会う機会が減っていく大人になってからは、
自分で見つけるしか新しい価値観に出会えない。
とにかく本を読んだり、音楽や英語の趣味を派生させたり、自分から新しい人と出会う機会を増やした。
アートディレクター佐藤可士和さんとの出会いはTVのカンブリア宮殿だった。広告やデザイン、ヒット作を生み出す仕事のこだわりに興味を持ち始めた。
(佐藤可士和さんに会うために参加したKOKUYOデザインアウォード授賞式はまさかの佐藤可士和さん、当日欠席)
たくさんの刺激の中でも、自分の好みやセンスに応じて影響をうけたいものがハッキリしてきた。
人から与えられた影響だけでなく、自分の欲してるものを自ら掴みに行く感覚が分かってきた。
心の奥で「かっこいいなぁ」「自分もやりたいなぁ」というセンサーが働くようになる。
そういう憧れや目標が湧き上がるとワクワクして毎日が楽しくなる。
近年、そのワクワクセンサーを自覚的に、能動的に捕まえられるようになった。
「自分の好き」に囲まれることです。
持ち物も、付き合う人も、時間の使い方も、自分の好みを知ったうえでちゃんと選ぶ。
ちゃんと自分の好きなものに影響を受けるようにする。
自分の気持ち、時代、周りの環境、トレンドが変化するに伴って、
どんどん、どんどん好きなものが増えていく。
いつだってその瞬間瞬間好きなものに囲まれていたい。
それがいいのだと思う。
(妻に柵代わりにされた私のお気に入り・カインズの座椅子に囲まれた息子)
営業 / 佐藤