「春の訪れ / 唄・作詞・作曲: 佐藤将人」
〈歌詞〉
春の訪れ 君に問いかけ
流る川の薄紅
春の訪れ 君に問いかけ
なのに、一人ごちてる
君に会ったら 君に会ったら
あの丘へと誘うだろう
もっと hold me tight
キリがないよ あぁもうバカで
あったかくて 素直に泣けて
嬉し泣きも 花びらのようで
風にヒラリ
君に愛を 僕に愛を
輝くように
君に愛を 僕のこの心を
春の訪れ 夕日に照らされ
朱に染まる薄紅
いつになったら いつになったら
僕は 君に届くだろう
もっと hold me tight
キリがないよ・・・んなことばかり
もっとこうして そばにおいで
キリがないよ キリがないよね
涙 キラリ
君に愛を 僕に愛を
輝くように
君に愛を 僕のこの心を
君に愛を 僕に愛を
輝くように
君に愛を 僕のこの心を
ワクワク、ソワソワの春ということで、
「春の訪れ」という私作詞作曲の名曲(笑)を公開してみました。
忘れもしない、24歳の厄年の時に作った曲。
北浦和のステーションという音楽スタジオで深夜練習をしていたバンド時代末期。”the newest age”というバンド名でした。
直訳すると「いっちばん新しい時代」
バンドテーマ、スローガンは「今を大切に・・・」
今思えば、とてもロックバンドの掲げるスローガンではありませんw
それだけその当時、一日一日を無駄にすごしている感じがしてたんです。
その証拠にバンドの一番の推し曲のタイトルは「タラタラ」です(笑)
※カラオケの達人に行くと本当にカラオケが入っています。
さて、なぜ都内(当時・国分寺市)住まいの私が北浦和のスタジオなのかと言えば、
3ピースメンバーの一人、ベーシストが熊谷市在住だったからです。
「中間地点ということで川越か浦和ね」ということで、それまで新宿だったスタジオ拠点が埼玉になったのです。
まぁ慣れない土地でした。
通い慣れた中央線沿線から、西武新宿線や京浜東北線に利用路線が変わっただけで、たったそれだけでものすごく不安になりました。
いつも同じ環境・習慣で過ごしていたので、ちょっとした変化があるだけで動揺して、変化に順応することに慣れていないのです。
今でこそ、埼玉県広域が活動拠点で東京よりもずっとずっと大好きと思える素晴らしいスポットが埼玉にはあるのですが、
当時の私の埼玉へのイメージは
「負の土地」でした。
音楽活動の中で自分らしさが出せなくなって、
自分より音楽の志しが高い人たちのオーラに気が引けて、
なんか楽しそうに自分の好きなミュージシャンとか、好きな音楽ジャンルについて語り合ってる人たちの空間にまったく入っていけなくて、
唄うのが好きで音楽やってるのに
全然楽しくなくなった
いわゆる「病んでる」状態になりました。
ものすごい劣等感を感じてしまいました。
その上手くいかない原因を私は、
「埼玉とは相性がわるい」
「北は方角がわるい」
「埼玉の人とは合わない」
本気でそう思っていました。
そのうちに病んでしまってる私を励まし続けたドラマーのDちゃんがライブ3日前に電撃脱退し、
渋谷ラママでのライブは急遽知人のドラマーにヘルプで入ってもらい、なんとか4曲をステージで演奏できたものの、
2、3月に予定されていた残り2つのライブスケジュールを消化したところで、とうとう私の心が折れました。
「もう人前で唄いたくない。音楽好きじゃない」
いわゆる挫折です。
中学生から10年間、昼も夜も時間があれば夢中になって弾き続けたギターを触りたくなくなって、
紡ぐ歌詞、紡ぐ歌詞ネガティヴな言葉しか自分の中から思い浮かばなくなって、
やさぐれちゃったものだから音楽活動が休止したあと唯一続けてた飲食店のバイト先でも近寄りがたい存在になっちゃって、
とうとう後輩たちから干されて、
10年近く勤続していたその場所に居れなくなりました。
長く勤めているというだけでデカい態度をとっていたのです。
厳しい言葉の裏に愛情があればまだいいのですが、
当時は単純に、
自分より仕事が遅い後輩に苛立ち、
指示したことを一回で守れない後輩に苛立ち、
立場の弱い人に対しての配慮がまったくありませんでした。
まったく心に余裕がないのです。
かくして、大学を出ても就職せずに続けた音楽活動も24歳で挫折し、
10代から続けていた職場でも25歳で挫折し、
何に向かえばいいのか分からない状態の時に思ったことが、
「本当は人に対して優しくありたい」
「少なくとも誰かの役に立っていたい」
その本音を歌詞にしたのが冒頭の「春の訪れ」でした。
実際問題、
この心理状態のときに優しい言葉を書くって、自分自身キレイごとを言ってるように感じるので、違和感があるんです。
この違和感は、
「これが自分の本心だけど、周りはそんなのを信じてくれないだろうな。キレイごと言ってるって思われるだけだろうな」
と、「他者が感じる自分の評価」にとらわれて、自分の本音を肯定しきれないときに起こるものです。
自分の感情なんて唯一無二なんだから、他人の評価と違って当たり前なんです、本当は。
分かりやすく言えば、映画シザーハンズ(手がハサミの人)のエドワード・シザーハンズのように、
近寄る者を不本意に傷つけてしまうだけ。
エドワードだって一人でいるときはそのハサミを器用に使って庭の剪定とか、それこそ芸術的に仕上げてしまう才能の持ち主。
それが好きな人と抱擁するときにもハサミは取り外しできないから(ハサミが手なのでね)、ヒロインの顔に傷をつけちゃう。
で、周りの大人たちが「あいつは危険だぞ!」ってネガティヴキャンペーンしちゃうものだからエドワードは居場所をなくしちゃうの。
エドワードは元々心優しい人間で、周りが自分のことを「危険なやつだ」って評価して、周りが与える負の感情に耐え切れず爆発して、本当に人を傷つけちゃう。
いわゆる負の連鎖。悲劇です。
上手くいかないことが、次の上手くいかないことを生んでいく。
やっぱり傷ついたときには
ひっそり喧騒から離れて過ごすって、
治療法として正しいですよね。
川沿いを歩いたり、温泉にゆっくり浸かったり、久伊豆神社にいったり。
いわゆる負のオーラを放ってる人たちから
場所から離れることの大切さってこういうことだと思う。
で、心落ち着けて、心整ったところで次のステップを踏めばいい。
この歌詞の「君」という登場人物は現実には存在しなく、「心繋がっていたい、誰か」のことを指しています。
さぁ、春到来、新シーズンも始まったばかり。
私のしくじり体験が誰かの役に少しでも立てばいいなと願いつつ、
私自身も挑戦する気持ちを常に持ち、
「今を大切に」過ごしていきたいと思います。
営業 / 佐藤