ハタジョの母もまたハタジョ。
子供の頃は専業主婦になるのが良いと思っておりました。学校から帰ると必ずお母さんがいて、
「お帰りー。」
と当たり前に言ってもらえる友達が羨ましかった。
皆さまお疲れ様です。
スクエアライン、金曜日ブログ担当の梅田敬子でございます。
長めのお休みがある時は、さいたま市の自宅から群馬の実家に参ります。
さいたまの自宅はアパートですが、群馬の実家には広い庭があるし大きな畑もあるし、猫が3匹もいて結構楽しいのです。
実家にいる私の両親は、お陰さまで2人ともとても元気です。
実家に帰るとみんなで向かい合って、お茶を飲みながら色んな事を話します。特に母は、1人でしゃべり倒すのです。
父のこと、近所のこと、親戚のこと、習っている短歌のこと…。次から次へと話題は続いてゆきます。
「こんな風に向き合ってゆっくり話せるようになったのは、割と最近のことだなあ…。」
しゃべり続ける母を眺めながら私はふうっと、自分が小さかった頃を思い出しました。
私が保育園生だった頃。その頃から、母は常に忙しくしていました。朝起きて掃除をして、洗濯をして、朝食を作って、身支度をして、スクーターに乗って仕事に出掛けます。
その頃の母の記憶は後ろ姿ばかりです。
掃除をする母
洗濯をする母
料理をする母
身支度をする母
スクーターで仕事に行く母
もっと構って欲しいとか、遊んで欲しいとか、話を聞いて欲しいとか、思っていても何故かそれを言葉にしてはいけないような気がしていたのです。
あの頃私は母に対して、寂しさや不満を感じることが多くありました。中学生くらいになると無視したり、反抗したりして、母にその思いをぶつけてしまったこともありました。
しかし、大人になるにつれだんだんわかってきたのです。
母が背中を向けていた時間は、私たちのために働いていてくれる時間でした。
掃除も料理も洗濯も仕事に行くのも、ぜんぶ家族のためでした。
…現在、私も母になり、有難いことにお仕事をさせていただけております。
いつか息子も「親の背中」について、何か考えてくれたら嬉しいなあと思います。期待薄ですが。
「あと20年もしないうちに、きっと母との永遠の別れの時が来るだろう。その時思い出すのは、きっと母の後ろ姿なんだろうなあ…。」
母の話を聞きながら、そんなことを考えておりました。