読書をしたり、映画鑑賞をしたりして「主題は何か」と考えることがございます。
一人で考えておりますと、必ず勝手な考察に至ります。
皆さまお疲れ様です。
スクエアライン、金曜日ブログ担当の梅田敬子でございます。
働く女性=ハタジョ
として毎週金曜日に弊社のブログを更新しております。
ハタジョハタジョと言っていると自ずと気になる事が出て参ります。
それは「鶴の恩返し」のお話。
なぜか?
ハタジョ→
ハタオリ→
機織り→
機織りの話→
鶴の恩返し
上記のように頭の中で言葉が連想ゲームをしていくのです。
今回のブログには「鶴の恩返し」のネタバレも含まれております。「あーん、鶴恩!これから読もうと思ってたのにぃ!」という方はご注意下さるようお願いいたします。
鶴の恩返しのストーリーは教訓が分かりにくいなどと言われることがありますが、そのようなことは無いと私は考えております。
さあ本日は私が「鶴の恩返し」について考察して参ります。5分ほどのたわごとにお付きあいいただければ幸いです。
「鶴の恩返し」は日本人ならば95%くらいの方がご存知かと思います。話題の「火花」は読んでいなくとも「鶴の恩返し」は知っている。何度も何度も書籍として発行され映画や演劇にもなっている。日本人の心のよりどころ、童話オブ・ザ・童話であると言えましょう。
柳田国男『全国昔話記録』の第一編『佐渡昔話集』(1932年)の中の「鶴女房」に採録されたのが最初のようですが、唐代のものとされる「鶴氅裒(かくしょうほう)」の寓話からきたもの、という一説もあるそうです。
「鶴の恩返し」はバッドエンドです。未読の5%の方、ネタバレすみません。
それなのにあの童話がなぜあれほどメジャーであるのか?それは多くの人びとの共感を得ているからなのです。
あれは「過酷な労働」「仕事を辞めたくなる時」などを表し、労働条件への警鐘を鳴らしているのでは?と私は考えております。
現代は労働基準法が制定され、あるべき労働条件というものが明示されている世の中ですが、鶴の恩返しが書かれた時代、確実にそんなものは存在しなかったでしょう。
多くの人びとが貧しかった時代、きっと声高らかに「労働条件を見直そう!」などと言うことは出来なかったのではないでしょうか?そんな事を言い出そうものなら簡単に職を失い、大切な家族を路頭に迷わすことになってしまいます。
罠から助けてもらった恩を返しにやって来た鶴は自分の羽根を抜いて織物に織り込み美しい布を織り上げました。
「自分の羽根を抜いて布に織り込む」という部分はストーリーに「労働の過酷さ」を織り込んだ比喩表現であるように私には思われます。(織り込んだだけに。)
鶴の機織りシーンを見てしまう人物は物語によって老夫婦だったり青年だったりしますが、まさにこちらの登場人物は鶴に過酷な労働を強いている張本人です。
ストーリーとして老夫婦や若者に悪気があるわけではないけれど、鶴の純粋な気持ちを自分の利益に繋げようとした所は否めません。
そして…。鶴は
「もうここにはいられません。」
と、空に飛び立ってしまいます。こちらも「退職」の表現であると私はにらんでおります。
鶴が自分の羽根を抜いて織物を作れる可能性を1年に1回くらいのスパンと仮定します。
数日間のうちに鶴は何枚も織物を作っているので常軌を逸した労働条件です。自身のキャパシティを超えて労働に明け暮れる鶴が日に日にやつれていったことも頷けます。
現代、労働基準がきちんと明示されているのも、ひょっとしたら鶴の恩返しのお話のお陰かも知れません。
あ、ちなみに鶴の羽根を織り込んだ織物というのは本当に存在するようですよ。非常に高級なものとして中国、韓国、日本で古くから珍重されていたようです。鶴氅(かくしょう)という名前だそうです。
あの織物も、絵本では色とりどりの美しい布ですが、鶴が自分の羽を織り込んだら結構モノトーン調になるよなあ…。というのは子供の頃から解決しない疑問でした…。